新たな問題

今日、実家の方の役所から一通の封筒が届いた。
中を開けてみると、うちの親が生活保護を申請したという事で、扶養義務者の身辺調査?の様な書類と、扶養届出書が入っていた。
両親は姉夫婦の好意によって、つい最近まで二世帯住宅を建ててもらい、一室にお世話になっていた。
父は大昔から酒乱で家族全員に暴力を振るい苦しませ続けて来た。
仕事も50歳頃から辞め、毎日朝から酒を飲んでる暮らしをし始めた。

私は、父から逃げるために県外へ就学・就職を選んだ。
兄弟全員が同じ目的で、家を離れた。
手紙を受け取り、怒りのような気持ちが込み上げ、役所へ電話を入れた。
まずは、自らが自己破産の手続き中である事、暴力から逃げるために県外へ出た事、父は自分に取って加害者である事。
そういう順序で話をした。
経済的援助・精神的援助のどちらも、する意思は無いと伝えた。
役所の人は、送った書類にその旨書いてくれと言ったが、私はとても親の事を思い出す事体したくないので、書けそうも無いと伝え一方的に電話を切った。

いずれは書かなきゃならないだろうが、これを書くには時間が必要だと思う。
今は、自分の事で手一杯だから。

親知らず

真横に生えたというか埋まってる親知らずを抜いてきましたよ

一年前ぐらいからどうしよーって先生と相談してたものです。
抜くと言うより手術ですね。歯は埋まりつつ隣りの歯たちを押している状態だったので、メス入りーの歯を分割しーの
一時間半に及ぶ手術となりました

さすがに口開けてるのも疲れMAXで「今日はここまでにしませんか?」と弱音を吐く寸前でした。
先生、ほんとお疲れ様でした&ありがとう!!

二年ぐらい前に上の歯抜いた時はまっすぐではないものの、若干斜めに生えてるかんじだったので5分ぐらいで
‘ポーン’と抜けたのに~、下の歯、しかも真横向きで生えてるからもう大変でした

直太朗

今、お店で森山直太朗を聴いてます。

ただそれだけ

今日も雨だった。

てか今も雨ですね。

さぶくなってきて

今日は、コンビニへ

PS Plus会員の期限が切れるのでPSNカードを購入。

PS Plusの料金は3ヶ月で1300円なのでリーズナブルですよね。

年末はゲームをして過ごしたいと思います。

今、森山直太朗の何曲目だろう。

わからん。

けどいい曲あるね。

正直今まで聴かず嫌いだったけどね。

今回レンタルしたのもう一枚は、リップスライムです。

まさかぼくのコンポからリップスライムがって感じだけど

売れてる人達いまいち興味ないわ〜〜みたいなへそまがりな事やめようとおもってね。

2年とか3年前ならなぜか嫌ってたのにね。

最近は、色々素直に聴いています。

ま〜〜色々色々きいてみよう。

さ〜〜さぶいけど今から少しだかけてこよっと。

かえってきてから作業がんばるっす。

したい事だいぶんまとまってきたよっ

少しずつ形にしていこう

下流

「下流」とは、「下層」ではない。
食うや食わずの困窮生活者が下層。
下流は、基本的には「中の下」。
食うや食わずとは無縁。
中流に比べて何かが足りない状態。
その何かは「意欲」だという。
中流であることに対する意欲のない人。
そして中流から降りる人、あるいは落ちる人、それが下流という。
これは三浦展著「下流社会(光文社新書)」から部分抜粋をしたものである。

トイレで反省したこと

反省したのである、会社のトイレ(大)で。あの個室は、人間に思いがけない内省を促す空間ですね。

 何を反省したかというと、トイレットペーパーの使用量。会社と自宅とでは、1回に使う紙の量(長さ)が違うことに気づいてしまった。庵では、4個で99円の紙を必要最小限に使っているくせに、会社では使い放題。何メートルだろうが惜しげもなく(必要以上に?)使う。

 ああ、私はこれだけの人間だったのだ。こんな人間が悪びれずに生きていることにこそ、環境問題の本質はあるのだ。と深く反省したわけです。しかしスケールの小さい反省だな・・・と、手を洗いながら少し悲しくなった。

銀座のとんかつ

銀座の和光裏の、あれはガス燈通りというんだったか。昔から気になりながら入りそびれていたトンカツ屋がある。店構えが銀座銀座してないのだ。三ノ輪か西浅草あたりが似合う感じ。昨夜、旧知のIさん(♂、67歳)に呼ばれて行ったのが、その店だった。あらかじめネットで検索してみると、なかなか評判がいい。
 入ると、手前にテーブル席、真ん中が座敷というか小上がりというか要するに胡坐を組んで座る席で、奥がカウンター。自分と同年輩らしい夫婦が働いている。店内も三ノ輪か西浅草の雰囲気だ。真ん中に腰を下ろした。壁に猫の絵が飾ってあり、Iさんが描いたものらしい。この人は謎の多い人で、2年の予定で中国へ行ったが先日、2か月で帰ってきたばかり。その辺の事情を聞いていると、親しくしているという自称「看板屋」のおじさんが来て加わった。さらに、ふらりと入ってきてカウンターに座った常連の女性客(推定40代)がまた顔見知りだそうで、4人になった。得体の知れない人々と飲むことには慣れているので、八海山がどんどん進む。看板屋は映画「砂の器」が好き、女性は歌舞伎通で、話が盛り上がった。

 料理は、トンカツ屋なのに刺身やカキフライから始まり、どれもなかなかうまい。が、普段は1日1食の谷中庵主人が今日は珍しく昼飯を食ったので、腹は全く減っていない。八海山に専念しているうちに記憶のなくなる時間になった。肝心のトンカツを食ったのか食わなかったのか、食ったとしたらうまかったのかどうなのか。覚えていないのは悔しい。何時ごろに解散し、どうやって帰ったかって? 覚えてたら苦労しませんて。

「・・・とは思う」問題

 “日本語の乱れ”に口やかましい爺さんたちがいますね。「言葉戦隊ミダレンジャー」とでも呼ぶべき正義の味方。谷中庵主人も例外ではなかったが、最近は「乱れるのが言葉の宿命」と達観しているところがあるので、嫌な言葉を自分では使わないが他人が使う分にはいちいち目くじらを立てないことにしている。ところで・・・。

「尻上がりイントネーション」がありますね。たとえば、優勝圏内にいる力士がインタビューに答えて「やはり、ここまで全戦全勝の横綱には及びませんよ。さすがは横綱。実力でも精神面でも自分はまだまだ。でも頑張りたいと思います」と言えばいいところを「さすがは横綱? 実力でも? 精神面でも? 自分はまだまだ」と、いちいち尻上がりに言う。耳障り。

しかし2、3年前に比べて、このイントネーションは減ったと思いませんか? ひところは「この人までも!」と嘆かされることが多かったが、今では元に戻ってきたような気がする。インフルエンザと同じで流行は防げなくても、いずれは沈静化するものなのかもしれない。

目下、猛威を振るっているのが「・・・とは思う」だ。「頑張りたいと思います」ではなく「頑張りたいとは思います」。さっきの力士がインタビューに答える場合、これは適切だといえる。いくら頑張っても横綱が好調な限り、すでに2敗している自分が優勝できる可能性は極めて少ない。まあ、ダメモトで頑張ってはみますけど・・・というニュアンスが伝わるからだ。

ところが、最近はだれもかれもが、どんな状況下にあるかに関係なく「と思う」ではなく「とは思う」を使う。「は」が付くと何が違うかというと、その後に(でも・・・)という「そうは言い切れない何か」が漂うことだ。「戦争より平和がいいとは思う」だと。じゃ「平和がいい」の後に続く(でも・・・)の中身は何か。尋ねてみるとナ~ンもありゃせんのだ。

もったいぶりの「とは」、と名づけた。「と思う」と言い切らずに「とは思う」と言った方が、何か実際の自分以上に重みがあって奥深い人物に見てもらえそうだという魂胆が透けて見える。「ある意味では・・・」と同じ。浅ましい。しかし、これまた「この人までも!」と嘆かされることが多い。このインフルエンザには早く去ってほしい。とは思う(のだが・・・当分は蔓延するでしょうね)。